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2011.07.28
7月4日、第3回目となる〈デザインの今を考える〉集いを開催しました。この集いは、岡部憲明アーキテクチャーネットワークにて毎回ゲストをお招きしてお話いただき、その後は参加者の皆様とともに対話の時間を設け、「今日と未来の環境を創り出していく新たなデザインの可能性を巡る集まりの機会」として企画されました。
今回は〈集住のプロセスを考える ‐フィンランドの集住の歴史を顧みて‐〉を中心のテーマとし、建築編集者・中谷正人さんにレクチャーをお願いしました。中谷さんは1997年に「ヘルシンキ/森と生きる都市展」が東京、旭川で開催された際の主要メンバーでした。ヘルシンキ市都市計画局の協力のもとで実現したこの時の展覧会をきっかけに、中谷さんは市民のための都市づくり、住環境づくりの優れた実現を詳しく知ることになりました。
3月11日の東日本大震災、大津波の後の復興の方向がどうあるべきか、また、今後予期される東南海、南海地震などの対応に都市、建築に携わる立場から考えるべきことは何か、これらの課題の中にある日本にとって、フィンランドにおける都市計画、地域計画、住居計画は、日本の進むべき方向を示す参考になると考えました。

中谷正人さんによるレクチャー
「集住のプロセスを考える ‐フィンランドの集住の歴史を顧みて‐」

1. はじめに
中谷 ― 1997年に日本フィンランド都市セミナーが開催されました。このセミナーには5つのテーマがあったと思います。木(フィンランドと日本の木の文化の違い、共通点を比較/中谷氏担当)、プロダクトデザイン、ムーミンに代表される絵本、現代建築、そして「ヘルシンキ/森と生きる都市」がフィンランド、特にヘルシンキの都市計画を中心にまとめられました。5つのテーマごとに展覧会、シンポジウムをセットにして開催されました。
私は、「ヘルシンキ/森と生きる都市」の一部分として集住、住宅関係のレポートを書くということで、展覧会の時期に合わせて1月、2月という、10時に日の出で、13時くらいには日が暮れてしまうような非常に暗い時期に、ヘルシンキを周って来ました。その時のレポートを中心にお話します。
また、今日このタイミングというのは、今朝の東日本大震災に関するニュースでもありましたが、仮設住宅で雨漏りはする、蟻は入ってくるといった欠陥で大騒ぎになっています。この後お話しますヘルシンキのカピュラという1920年から1927年にかけて建設された住宅地がありますが、これは第一次大戦後のある意味では仮設住宅と言えます。それについて丁度良い機会なので、仮設というテーマについてもお話したいと思います。

2. フィンランドと日本の地理的比較
中谷 ― まず、フィンランドという国をざっと紹介したいと思います。フィンランドは北緯60度から70度、日本は北緯25度から45度に位置しています。ですから北緯からすると、ローマの位置が、日本の津軽海峡に相当します。それほどヨーロッパの国々というのは北の方にあります。具体的に見ていきますと、フィンランドと日本の面積比は1:1.12で、1割ちょっと日本の方が広いだけです。ただ、フィンランドは水面積が国土の1割近くあります。人口比について見てみますと、日本が1億2800万人であるのに対して、フィンランドは532万人です。ついでにGDPはフィンランドのほうが上です。つまり、フィンランドの24倍の人間がひしめき合っているのが日本と言えます。
以上のように、同じぐらいの面積でありながら、一方で人口密度が全く違うというあたりがひとつのテーマかもしれません。また、国土に占める森林の割合がフィンランド、日本ともに70%弱ということでこの比率も同じです。

3. ヘルシンキの街並
◆その後、中谷さんにはヘルシンキの街並についてスライドを交えながらお話しいただきました。
まずはバルト海沿岸地域の玄関都市といえるヘルシンキの港についてです。ヘルシンキ市都市計画局のパーヴォ・ペルッキオ局長(当時)とのお話しを紹介して下さいました。ヘルシンキの都市計画は海からの景観を大切にしているということです。一つの例として、街のシンボルであるヘルシンキ大聖堂とロシア正教の教会(ウスペンスキ大聖堂)は海からでも見えるように、手前の建物の高さを抑えています。
ヘルシンキに船で到着する際に目にすることができるすばらしい都市景観が可能なのは、市域の面積の78%(市有地率64%、国有地率14%)が公有地であることに一つの要因があるようです。公有地を売り払うことなく、出来るだけ買い増していったヘルシンキの政策は、明治政府が引き継いだ江戸幕府や諸大名の土地を民間に払い下げてきた東京とは対照的です。本日の主題であるヘルシンキの集住の計画についても言えることですが、ヘルシンキは行政主導の開発を行いやすい環境を築き上げてきたのです。ヘルシンキの中心部を形成するマーケット広場、エスプロナディ公園、ヘルシンキの中央駅についてもご説明いただきました。
都市計画によるすばらしい景観を実現している一方で、冬季には港は全面結氷し、陽はほとんど顔を出さず、厳しい環境になります。夏季と冬季で街並が一変することがヘルシンキの街並のもう一つの特徴ということでした。

4.フィンランドの住居形式
中谷 ― 基本的な話として、フィンランドの住居形式はログハウスです。石を積んで、その上に木でログを組んでいきまして、屋根は土、その上に草を載せます。ヘルシンキの西側の湾にある島がセウラサーリ(Seurasaari)という民家園になっておりまして、そこに様々な歴史的な建物が展示されています。
単純なログハウスガいくつかあります。それぞれが、人が住むところであったり、物置であったり、家畜小屋であったりして、それらが寄せ集まって一家族の住居というかたちをとります。このタイプがひとつのログハウスのあり方です。
それに対して、ロの字型になっているタイプがあります。これはひとつの建物がエクステンションしていき、2つの中庭を形成しています。片方の中庭は家畜を放し飼いにします。もう片方は人間が作業する空間となっています。真ん中の棟はお年寄りの居室となっているようです。家畜小屋の方の中庭を見てみますと、家畜小屋の上の階が女性と子供の居室になると聞きました。家畜の体熱を利用しようという考えのようです。
もともとは一棟のログハウスでその中にストーブがありました。そこがそのままサウナにもなり、初期の生活では、出産、育児、病人の世話などはみんなサウナの中で行っていたようです。それが時代とともに変化していき、分棟型と中庭型のログハウスが生まれ、文化的暮らしになっていきました。

5.ヘルシンキの都市計画の実例
カピュラ/Käpylä

中谷 ― カピュラは、第一次世界大戦後の混乱時期に急遽、大量に住宅を作らなければならない事態の中、1920年から27年にかけて、開発された集合住宅地です。当時のヘルシンキの人口は20万人に対して1万人分の住居が不足していました。6人の大工が4週間で1棟建てられるという条件でログハウスが計画されました。
配置についてですが、基本的には道路に面しています。あるところはコンタに沿って配置されています。計画当時は、1棟に4世帯が入る規模を基準とした計画となっていました。各住戸にはトイレ、風呂、キッチンはなく、数棟の住戸によって囲まれた中庭に、共同施設として設けられました。この中庭は野菜畑などで自給自足をしていました。
1927年にヘルシンキでノルディック建築家会議が開かれた際に、グンナー・アスプルンドが数人の建築家と酔っ払って散歩をしていて、カピュラに出会ったそうです。素晴らしい住宅群があると一躍有名になったと聞きました。
しかし、当時カピュラの集合住宅を設計した人達は、この計画をあまり誇りに思っていなかったようです。なぜかというと、仮設であったということと、正規のログハウスではなかったからです。そのせいかどうかはわかりませんが、1960年代半ばに市が建て替えを計画します。ところがそれに対して反対運動が起こりまして、その後、フィンランドの初めての伝統的建築群に指定されることになりました。
現在住んでいるのは、いわゆる文化人と言われる方々が多いようです。医者、音楽家、建築家、大学の先生などです。住むための条件がありまして、内部の改装はある程度自由ですが、外観は一切変えてはいけません。例えば窓の上の装飾があります。駄目になったら同じものを造り替えます。そのために、カピュラには大工さんが一人住んでいます。言い方を替えますと、法隆寺の宮大工で西岡常一さんという方がいらっしゃいます。彼はしょっちゅう見て周り、痛んでいるところがあったら補修します。そのようなシステムをカピュラにおいてもとっています。

ログハウスというと木材を積んでいくので、目地が横に入っていかないとおかしいと思う方がいらっしゃるかもしれません。現在、丸太を積んだだけのものは、ほとんど物置や家畜小屋です。住居用のログハウスは、まず丸太を積みます。積んだ後は側面を斧で削り平滑な壁にしていきます。それでも継ぎ目は引っ込みます。そこに草に土を混ぜたもの、日本でいう土壁のようなものを詰めます。最後に縦に板を張り、仕上げとして赤土を塗ります。エアタイトになりますし、丸太一本分の厚さがあるわけですから断熱効果も優れています。屋上に土を載せるということも、そのことを考えてのことだと思います。
カピュラのときのログのシステムは、また少し異なります。本来ログハウスというのはノッチという欠き込みを木材に入れて交差させながら積み上げていきますが、カピュラの場合は、今で言うポスト・アンド・ビームのようなものです。柱に溝を切って角材を落とし込んでいきます。その上から仕上げとして板を張るわけです。
ログハウスの問題として、セトリングと言いまして、必ず壁が沈みます。丸太は繊維方向にほとんど伸縮しませんが、直角方向に10%から20%伸縮します。カピュラの場合は、一般的なログハウスのように横材だけで構成されておらず柱材がありますので、壁全体が沈まずに壁と屋根の間で隙間ができてしまいます。そうならなかったのかと都市計画局の方に聞きましたら、やはり隙間ができたということでした。そうなったら後で塞げばよいという大雑把な考え方であったようです。
プランについて見てみますと、一世帯当たりの平均的な面積は63㎡でした。一世帯というのは血族の家族で住んでいたかどうかはわからないそうです。戦後の混乱時期なので親子だけではなく、おじさんおばさんであったり、昔からの知り合いであったりと、とにかく住むところがないのでみんな一緒に住んでいたという状況だったようです。現在は住戸に水廻りが設けられ、共同施設として中庭にあった水廻りは、様々な住民のアクティビティの場となっています。中には壁を取り払って使っている場合もあります。
フィンランドの大工の技術についてひとつだけ紹介します。北のほうにペタヤヴェシ教会がありまして、その外部階段のディテールです。どう組んであるのかわからないくらい複雑です。ログハウスはコーナー部でお互いに壁が出てしまうのでが、このような納め方をしている例もあります。

タピオラ/Tapiola

中谷 ― 続いてはタピオラです。ヘルシンキ市の西隣のエスポー市内に位置するタピオラでは、第二次世界大戦後にヘルシンキの副都心的要素として開発が始まりました。業務地区としての役割が期待されていましたが、実際にはベッドタウン化しました。基本的には低層集合をベースとして、木より高い建物は作ってはいけないというルールだったそうです。人口が増えた場合には高層のブロックをその隙間に挿入していくというのが一番初めの考え方でした。1950年代から1980年代にかけて連綿とつくり続けられ、テラスハウスあり、戸建住宅あり、中高層集合住宅ありと様々なバリエーションの建物が建てられました。私が1997年1月、2月に取材に行った時点で、すでに高密度化しており、別の場所を探していますという話でした。これでどこが高密度なのと思いまして「いったいフィンランドではヘクタール当たり何人を意図されているのですか」と都市計画局の方に聞いたところ、「どう見ても高密度じゃないか」という返事だけで、なぜ疑問に思っているのかを理解してもらえませんでした。日本との人口密度の比が1:24の違いかなと思いましたが、このことが強く印象に残っています。

◆引き続き、ヘルシンキ市都市計画局が現在でも扱っている主な計画(Pasila、Luoholahti、Jätkäsaari、Kruunuvuorenranta、Lauttasaari、Asuntosäätiö)についてお話いただきました。
ルオホラハティ/Luoholahtiの集合住宅を中心とした再開発計画では、ユニークな運営方式のお話がありました。ヘルシンキ市により建設された集合住宅は、賃貸と分譲により住民に供給されます。賃貸の場合は、公営住宅として貸し出され、分譲の場合は、民間のディベロッパーが市から買い取り、住民に販売されます。
ルオホラハティ以外の住宅地区においても、基本的には分譲と賃貸が同居するように計画されています。賃貸、分譲ともに市営と民間があり、4つの方式で供給される住戸が、棟ごとに分かれているのではなく、一つの棟に混在させているタイプもあります。一つの棟における住戸のバリエーションも豊富で、供給方式と相まって、ヘルシンキ市は意図的にあらゆる住民を混在して居住させ、スラム化の防止や、住棟間、地区間の軋轢を軽減させています。
 また、ヘルシンキ市都市計画局のつくる自転車ルートマップのお話がありました。市内には30近くのサイクリングコースが指定されており、あるものは市内に点在する木造住宅を巡るコースであり、あるものはアートを巡るコースであったりします。都市を楽しむ工夫の一端が伺えました。
以上のように、住宅を供給する民間企業や、そこに住む市民は、都市に対する眼差しをもち続けることが出来る環境にあるという印象を受けました。

5.おわりに
◆フィンランドにおける都市・集住計画を見てきましたが、カピュラにおきましては仮設的な建物であったにも関わらず、80年以上経った現在でも住み良い住区としてあり続けています。生き続ける都市が可能な要因には、竣工後のあり方を考慮した政策の充実にあることがわかりました。
現在の日本では東日本大震災における応急仮設住宅の問題が露呈し、その後の復興はどうあるべきかという緊急の課題に直面しています。また、フィンランドとは対照的に、多くの住宅団地は今一斉に老朽化し、何らかの再生が求められています。中谷正人さんのお話をお聞きし、これらの問題を抱える現代の日本にとって、フィンランドにおける都市・住宅政策は、思慮に富んでおり、指針となるものだと感じました。


参考文献
「ヘルシンキ/森と生きる都市展カタログ」
監修:岡部憲明、三宅理一、パーヴォ・ペルッキオ、吉崎恵子/市ヶ谷出版社/1997年

ヘルシンキ/森と生きる都市展


南港沖から見たヘルシンキ中心部:中央にヘルシンキ大聖堂、右にロシア正教の教会が見える.

冬のヘルシンキ南港


サウラサーリの民家園にあるログハウス

ロの字型タイプのログハウス:家畜小屋側の中庭を見る.


カピュラ:配置図と現在の航空写真

カピュラ:窓上の装飾

カピュラ:ログハウスの構造システム

カピュラ:改修後(上)と改修前(下)の平面図.浴室が増設されている.

ペタヤヴェシ教会の外部階段


タピオラ:過密のようには見えない.


ウルホラハティ

アートを巡る自転車ルートマップ